About

私は曲物弁当箱を作っている木工職人です。

新潟で生まれて、農家と酪農をしている家で育ちました。
小さい頃から何かを作り出すことに憧れていて、大工の真似事をしていた時期もありました。

小学生の頃はガンプラ作りに夢中になり、
中学生に上がると、コンプレッサーやエアブラシといったツールにお年玉やお小遣いを使っていたのもいい思い出です。

高校生になると、
興味はデザインへと移り変わり、デザイン系の大学へ進学。
大学では建築を学びましたが、思ったほど夢中になることはありませんでした。
それが変わり始めたのはある教授の木工作業を手伝うようになってからです。
木のぬくもりと加工工程に魅了され、木工の世界へと足を踏み入れました。

大学を卒業し上京、就職したのはなぜか飲食業界。
小さな時に夢見たパン屋に心惹かれてしまったのです。
この時は失敗したかと思いましたが、今振り返ると接客が学べたのでよい経験でした。

そんなある日、人生の転機が訪れました。
日本クラフト展で木工の師匠になる、時松辰夫氏に出会ったのです。
「うちの工房に来い」という一言が、新たな道への第一歩となりました。

師匠のもとで学んだことは、木工技術だけではありません。
様々な人が関わり合って一つの製品が完成する大事さも学びました。
植林をする人、木を切る人、製材する人、木を加工する人、販売する人、広告する人、使う人、
どれか一つでも欠けたら成り立たない。独りよがりでは何も生まないことを学びました。

木の器やカトラリー作りに夢中になり、もちろん雑用もありましたが、製品をうまく作れることに喜びを感じていました。
そのうちに、お弁当箱製作を任されるようになったのです。
曲物弁当箱の製作は難しく何度も失敗を重ね、嫌な仕事を任されたと感じていました。
ですが、木材の選定から完成までの流れを何度か繰り返すうちに、
徐々にコツを掴みお弁当箱作りのレベルが上がり始めました。
作り始めたからといって、すぐには完成しない。
昔作っていたガンプラに似たものを感じていたのだと思います。

師匠の工房で2年間、その地域内の工房で2年間、私は技術を磨き続けました。

その後、新潟に戻り、自分の工房を立ち上げました。

最初は様々な木製品に手を出していましたが、お弁当箱の製作も続けていました。
曲物弁当箱を初めて手がけた時の嫌な感じはなく、今では工房を支える大きな柱となったのです。

師匠から受け継いだ木工技術は、私にとっての宝物でもあります。
一人で製品は完成しない、
使う人の手に渡り、生活の一部として受け入れられることで、
本当の意味で「完成」なのかなと思っています。

これからも多くの人々に喜びを届けたい。
そうでありたいと願っています。